落語入門「第五回 江戸落語の誕生」

今までの落語入門で、京都で活躍した噺家「初代 露の五郎兵衛」に少し遅れて「初代 米沢彦八」が大阪で、「鹿野武左衛門」が江戸で活躍して、大阪や江戸にも落語が根付いていった…ということを書かせていただきました。

前回は「米沢彦八」について書かせていただきましたので、今回はもう一方の「鹿野武左衛門」について書かせて頂きます。





鹿野武左衛門は1649年(慶安2年)に大阪で生まれ、1699年(元禄12年)で亡くなった落語家です。

今までご紹介してきた方々の生年月日と比べますと…。

「安楽庵策伝」1554年(天文23年)~1642年(寛永19年)
「初代 露の五郎兵衛」1643年(寛永20年)~1703年(元禄16年)
「初代 米沢彦八」生年不明~1714年(正徳4年)

ですから、露の五郎兵衛や米沢彦八とほぼ同時代に生きた方…ということが言えます。





武左衛門は、大阪難波の漆の塗師の家に生まれましたが、塗師の修業を拒否し江戸(東京)に出てきました。

しかし、つても縁者もない江戸での生活は困窮の極みに達し、小さいころから得意としていた話術を生かして金を稼ごうと、道端に見台(机)を置き、小道具を使って辻噺を聴かせるようになりました。

同様に、芝居小屋や風呂屋にも武左衛門の活躍する場所が広がっていきます。

武左衛門の得意な芸は、身振り手振りを使って面白おかしく話す「座敷仕方咄」というものでした。

そのうち、武左衛門の芸は江戸の町で評判となり、武家や裕福な商人の屋敷に呼ばれ、芸を披露するようになりました。

大阪での米沢彦八の芸風が商人気質の大阪を象徴するかのように、「権力を小馬鹿にして笑い飛ばす」ものであったのに対し、武左衛門は「大阪に対する江戸の人々の優越感」を巧みにくすぐるように、敢えて軽薄にふるまうという芸風であったことも彼の特色と言えるかもしれません。

しかしその軽薄さも、歴史上の人物や文学作品等の豊富な知識や、仕草や声色を真似る巧妙さ、はたまた臨機応変な下ネタといった、教養や芸に下支えされたものでした。

このような活動を続けてきた武左衛門は、のちに「江戸落語の祖」と呼ばれるようになります。





ここまで書かせていただいたところで、ちょっと長くなってしまったので、次回に続きます。

次回は武左衛門の非業の最期について書かせていただこうと思います。





※こういう落語の歴史を知らなくても、落語を聴くことには全く差し障りありません。どうぞお気軽に落語を聴きにおいでください。(^^)

※もし間違ったことを書いておりましたら、大変お手数ではございますがご指摘ください。早急に加筆・訂正させていただきます。





画像


画像は先日の狸寄席2014春の「めくり」です。

綴家三千代さんは、初高座にもかかわらず落ち着いた口調で、ゆったりと噺を聞かせてくださいました。

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