落語入門「第七回 江戸落語中興の祖」

前回の落語入門では、江戸で落語家として活躍していた「鹿野武左衛門」が、全く無関係の流言にかかわったと濡れ衣を着せられ、事実上落語家生命を絶たれてしまい、そのことが原因で江戸落語乃発展が100年遅れた…ということを書かせていただきました。

彼が亡くなったのは1699年(元禄12年)ですが、その100年弱のちに登場し、江戸に再び落語の文化を謳歌させた人物を今回はご紹介します。





その人の名は烏亭 焉馬(うてい えんば)。

寛保3年(1743年)に江戸で生まれ、文政5年(1822年)に亡くなった方です。

元々は大工の棟梁の家に生まれ、彼自身も大工棟梁となり、幕府の役人として幕府の施設の建築や修繕を行う「小普請方」という職についていました。

彼の能力は大工の棟梁だけにとどまらず、俳諧や狂歌、そして浄瑠璃の台本、滑稽本、洒落本など、多岐にわたりました。

また、演劇界のパトロンとしても力を発揮した人物で、歌舞伎役者の五代目市川団十郎とは義兄弟の契りをかわすほどでした。

今でいうマルチな才能を持ち合わせただけでなく、人脈的金銭的にも恵まれていた人物…と言えるのではないでしょうか。

焉馬はそれだけにとどまらず、天明6年(1786年)に新作の落し噺(つまり落語)を披露する会「咄の会」を、向島の秋葉大権現社の境内にあった武蔵屋という料理屋で開催します。

この会自体はまだ寄席という形ではなく、教養人が自作の落ちがある噺を互いに披露しあうというものでして、滑稽本「浮世風呂」や「浮世床」で知られる式亭三馬や浮世絵師の山東京伝なども出席していたとされています。

この会が評判を呼び、料理屋の二階などを会場にして定期的に開催されるようになったことで、再び江戸での落語が盛んになっていきます。

このことから、焉馬は「江戸落語中興の祖」と呼ばれるようになりました。





また、焉馬は「亭号」を初めてつかった落語家とも言われています。

亭号をWikipediaでひも解いてみますと…。

「文人・芸人などの号。作家・二葉亭四迷の「二葉亭」、噺家・三遊亭圓朝の「三遊亭」など。今日では主に落語家や漫才師が使う。」とあります。

それでは次回は歴史の流れから少し外れて「亭号」について少し深く掘り下げてみようと思います。





画像は先日の狸寄席2014春の「めくり」です。

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藤花亭梅殊さんは、北海道落語界のアイドルとして、学生時代から鍛えた芸を存分に披露してくださいました。

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